てさぐりがたり

製作記録・覚書・レポート・浮かんでは流れゆく思考の切れ端など。失敗も糧。見たこと・聞いたこと・触れたこと。

「我」を消す難しさ

昔、印刷会社でチラシやダイレクトメールなどの作成をしていました。

 

製作にあたって、いろんな人の意見を聞いたり、視点を考えたりする必要があります。

 

A:ヒアリングしてきた営業

B:製作を依頼したクライアント

C:製作物を見るBの顧客

 

少なくとも、デザインした商品はこれだけの人の目に留まります。

A、Bの要望はもちろん、エンドユーザーであるCの視点も考えなければなりません。

 

パッと見て見やすいか。

色やフォント、デザインによる印象はどうか。

情報量は適切か。分かりやすいか。

ほしい、行きたいなどと思えるか。

 

そしてBとCの要望は、時として、また往々にしてぶつかりあいます。

 

Bはできるだけ詳しく説明したい。

Cは詰め込みすぎた文章を読む気にならない。

Bが特に強調したい部分は売り文句、注意点は入れたくない。

Cは注意点もちゃんと読みたい。

 

(基本的にAはBの伝達役なんですが、Aも絡んでさらにこんがらがることも…)

 

そんなこんなをくみ取って、製作を行います。

で、作っている中で、製作している自分の視点も入るわけですね。

このレイアウトだと分かりにくいんじゃないかなぁ、とか

色は自由って言われたから、じゃあ暖色系にしてみようかなぁ。とか。

 

受けた要望の範囲内で、自分なりの主張や好みを出したくなる時もあります。

提案がバチッとはまることもありますが、

大きなお世話になることも。こちらになることの方が多い。

 

自分ではCの意見を取り入れての提案と思っていても

Bには必要なかったり

そもそも自分がCの意見「だろう」と想像している事だったなのです。

 

「お客様の想像を超えた価値を提供したい」

「120%の出来で感動を与えたい」

サービス業などで上のような心得をときどき見かけますが

おせっかいにならずに要望以上のことをして喜んでもらうって、

まず相手の希望を限界まで聞き取り感じ取らないとできない。

 

Cの視点も大事ですが、

まず目の前にいるAの話をよく聞いて、Bの要望を理解して、

それに全力で応える努力ができていたかなぁ。

自分の意見よりも相手の思いを優先できていたかなあ。

 

過去の思い出になった今、そんなことを考えるのです。

 

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